2011年3月23日水曜日

身捨つるほどの祖国はありや その2

どんなに悲惨な写真や映像を見ても、涙がどこかで詰まってしまって出ることがなかった。家族と電話連絡が取れない。確かめようがないのだ。わたしは彼らに何も恩返しできていないのに、これいじょう不幸にさせるなんてほんとうにやりきれない。仙台は吹雪になっているという。家族が避難所にいるのか、どこにいるのかわからない。家が倒壊したのだろうか、怪我はなかっただろうか、いま避難所にいるのだろうか、避難所は寒くて飢えることがないだろうか、暖かい場所で眠れているのだろうか。心配しても確かめようがないのでフィードバックノイズのようになる。

父方のおばあちゃんは足が悪い。家は木造だ。逃げ遅れたりしなかっただろうか。同級生は大丈夫だっただろうか。いとこは大丈夫だろうか。仙台に住む若王子、竹やん、キクチさん、松村さん、戸田さん、志保ティンとちょうさん、けんさん、しなちゃん、みんな大丈夫だろうか。気仙沼のかおりさんの家族、名取のほっしーの家族、岩沼のしょうへいさんの家族、相馬のつーくんの家族、ワンパクあべさんの家族、サエキックの家族、あぶみさんの家族、亘理のさちこ先生の家族、石巻のそうしくんの家族、みんな大丈夫だろうか。安否が気になる人の顔が次から次に浮かぶのに、どうやっても誰一人にも連絡が取れないことにいちいち気づいて焦燥する。海外のメディアに見覚えのある景色が掲載されている。NYタイムズに地元が掲載されるなんて。

スクールバスの残骸に閉じ込められた娘の死体を撫でる両親 (宮城県山元町) わたしはこの自動車学校に通っていた。このバスに乗っていた。

わたしが通っていた高校は、遺体安置所になっている。

死亡者のリストを見るのが恐ろしい。夜が恐い。その夜、カンタくんとイーザワミオが鍋で慰労してくれた。このとき、西友は白菜が切れているくらいで食料がまだ豊富にあった。みぞれきのこ肉団子鍋を食す。ネットじゃなくて紙で情報が見たくて、コンビニに新聞を買いにいったら東スポしかない。仕方がないので買う。まさか東スポを買う日が来るとは思わなかった。すさまじい被害が明らかになっていくなかで、東スポはえろい写真と「ゴルフのなんとかリョウ、平常心」「プロレス団体バスで被災。危機一髪」とかマイペースすぎるいつもの調子。泣きながら笑った。堀尾邸は震災の前となにも変わるとことなく暖かく、イーザワミオの高らかなバカ笑いが響き渡り、その夜だけはわれわれが何も心配することなく暮らしていた以前の世界に戻ったような気がした。

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