2008年9月28日日曜日

映画「Sex and the city」


「Sex and the city」の仲良し4人組を見ていると、彼女たちの「ハートは一つ」感にすごく胸がいっぱいになるんです。女子の友情物語というと、あたしたちって超気があって仲いいよね!みたいなことを絶えず確認してるイメージがあるのですが、彼女たちの友情にはそういう気持ち悪いところはナシ。でも、いつでもハートは一つで、同じ街にいて、誰かが泣いていたら全員がすぐに駆けつけてくれる。地球上にそんな4人組っているんでしょうか?多分いないと思います。親友が3人いて全員がずっと仲良しって天文学的確率だと思うんです。「Sex and the city」はそういう意味でもおとぎ話です。


と、ものすごーく思い入れの激しいTVドラマ「Sex and the city」の映画版を見ました。ドラマファンからはかなり賛否両論の作品でしたが、私はすごく感慨深かったです。映画の中で繰り返し「一番の幸せは、自分のスタイルで生きること」というメッセージが流れていて、この物質社会で生きる最終目的はコレだ!と目が開かされたからです。

昔の人は飢えや疾病や戦争を追放すれば素晴しい世界が来ると思ってがんばって死んでいった。でもその結果生まれた世界は自分のアイデンティティを大量生産物と貨幣の虚しい交換で作り上げるものでした。現代のNYとか東京は、ペストとかで死んでいった人から比べれば本当に天国のようなところですが、毎日心の底から幸福感に満ちあふれている人がいったいどれだけいるでしょうか?


何もかも手に入れた人間が何を求めて生きればいいのか?そこで出た結論が「自分のスタイル」なんじゃないかと。「自分探し」はナカタとかがやってた世界一周旅行とかで見つかるのかもしれないが、自分のスタイルは場所を変えて探すものではありません。自分の好きなものをリスト化してみつかるものでもありません。映画では「自分の声を見つけるんだ」みたいな感じで言っていました(英語の先生も昔言ってた)。

自分のスタイルを自分で把握するのは、すごく難しいことです。映画のなかでもあれだけ自我の強い人たちが自分のスタイルを見失ってしまう。そこで違和感を感じつつも、その違和感がなんだかわからないのでどんどん望まぬ方向へ行ってしまう。それは自分のスタイルに合わないことをしているからなのだけど、それがわからない。

この世界でものすごく上手に生き抜くためには、自分のスタイルを知って、それに従って生きること。知ることは難しく、実践するのも難しいですが、それができればこの恐ろしい世界が楽園になるのだと思いました。だって、物質社会がどうとか言ってもマノロ・ブラニクの靴は素晴しく美しくディオールのドレスは死ぬほど愛らしいのです。ここに生きている限り、私は従わずには居られないのです。



ちなみにドラマのファンにとって違和感を覚えるのは、だいたいマンハッタンがあんまり出てこない!小粋なガールズトークも少ない!「セクシーなシーンが私だけ多いのにSJPよりギャラが少ないのはおかしい」とサマンサ役のキム・キャトラルがゴネたせいで(だと私は睨んでいる)ミランダの異様にリアルなセクシーシーンが多いのもいらない!

でもシャーロットの小走りも健在だし、キャリーのおうちでのファッションショーとかヴォーヴの撮影とか、女子が死ぬこと必至のシーンが盛りだくさん。人間って一人で生まれて一人で死んでいくじゃないですか。でも、ものすごく気のあったスペシャルな友達といると、昔昔人間が一つの球体だったころのような幸福感が生まれる。久しぶりに友達とあって、「それ私も思ってた!」みたいな(さいきんのナチュラル系のしっくいとかリネンとかワンパターンすぎやしないか、とか)、脳が分かち合ってるみたいな。そんな現代の若草物語ぶりを堪能した、うれしいボーナス作品でした。

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